ブログを書くことの意味【早起き1,143日目】

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人の読書感想が好き

おはようございます。まる(@hayaokimaru1)です。

昨日熱が出てしまってずっと家にいて、たまにご飯を食べるために起きたり、ちょっとパソコン見たりなどはしたけど、ほとんどゴロゴロしてまして。

で、ゴロゴロするのが思えば去年の1月のインフルエンザ以来だなーとか、いやそれちょっと人生余裕なさすぎだろとか自分に突っ込みながら、こんな機会もめったにないからどうしようかな、映画みるかな、それとも本読むかな、なんてスマホをいじってたら、なかなか長文な興味深い記事を見つけて、結局夜はずっとそれ読んで終わりました。

私、他人の読書感想って好きなんですよね。

その人と初めて会ってこれから長い付き合いになりそうなとき、たとえば仕事でその人が異動してきたとか、(私はないけど)子どもが同じ保育園になったママ友さんとか、そういう人に興味を持つときって、本人から「人生の転機は○○でした」「今まではこんな人生歩んできました」って話されるより、その人が好きな本をすすめてもらうのが一番良いと思ってるんです。

その人の人生が面白そうで、私が興味を持ちそうになっても、そもそもその人が自分談をうまく話せるかわからないし、個人的に一人の人間の話を長時間ずっと聞くのが苦手だし、そうなると、その人を知るにはその人が好きなものを知るのが早い。

で、本なのはなぜかっていうと、私が本が好きで、すすめられた本が私も読んで気に入ったら、その人の感覚や考え方も好きだっていうのがわかるし、私は私で新しい好きな作家またはジャンルができて一石二鳥じゃないですか。

あと「同じ本を読んだ」という共通項ができることで、これまでのお互いの人生のバックグラウンドを擦り合わせるという作業がすっ飛ばせるし、かつ本の内容を説明する必要がないから、あとで「ここは〜でしたね」っていきなり話し始められて手っ取り早いっていうのもある。

あ、またせっかちな性格が出てしまったか。

しかも今日話したいのはここじゃなかった、もうちょっと先があるんです。

ブログを何のために、誰のために書くか

そうそれで、昨日病み上がりのときに他人のブログで読書感想を6万字?書いてるのをひたすら読んで、これがとっても面白かった。

後世に残すべき小説ランキングベスト100を小説家になりたかった俺が人生をかけておすすめするぜ!

というのをもしリンクから辿られてご本人が気づいてくださったら幸いです。っていうのがまず1つ。

(\とても良かったし、私のスマホトップ画面にリンクで残しましたよ〜/)

そしてこの2つ目を今日は言いたかったんだけども、この中で紹介している「イワンデニーソヴィチの一日」の書評で、ブログ主さんが、なんでブログをやってるかっていうのを書いてる。

“「イワンデニーソヴィチの一日」の作家ソルジェニーツィンは当時の政治情勢によって誰かに原稿を見せることができなかったそうなんですが、それはつまり“誰にも読まれないかも知れない原稿をひたすら書き続けていたことになる。”

そこからブログ主さんは考えます。

“自分もこの“最終的に何文字になるかは知らないが、数十時間をかけて数万文字を書き、そして誰もこの文章を読まなかったら?

それほど悲しいことはないが、なぜ悲しいのだろうと考えた時に、それは読まれることを前提に、それを目的として書いているからであるのだろう。

ソルジェニーツィンにとって「書くこと」は何だったのだろう?

彼にとって「書くこと」そのものが救いであったのではないかと思う。

だから「イワンデニーソヴィチの一日」は強制収容所の話なのに明るい。

絶望の中に光を見出しながら書いていたのがよくわかる。

彼にとって、書くことは祈りに等しかったのだ。

この本の存在を思い出してから、この記事を書くのは楽になった。

この際読まれなくても良いと思えてから、驚くほど文字をタイプする指が軽くなった。

もはやこの記事は読まれることではなく「書くこと」もしくは「残すこと」が目的となったからだ。

仮に誰も読まなくても、これを書いている時点で意味がある。”と。

最後の2行が、私にはさいっこうに響いた。

なぜなら、私がここ数ヶ月ずっと悩んでいたことだから。

私がこのブログを始めた理由のひとつに、副収入として小金得るくらいできたら嬉しいなっていう色気もあったんだけども、いや嘘だ、大いに大金を得るつもりで、なんならそれを理由に仕事をやめてフリーでやっていきたいっていう野望をもって始めたんだけども、1年目はひたすら記事数増やす時期だと思ってコツコツやっていくことに疑問を感じず続けてこれて。

2年目は文字数多いのも慣れてきて、ブログでいろんなことも試してみたくて、そのおかげで今でも継続的にPV数いってくれる記事もあったんだけど、2年目の終わりくらいに、あれ、と。

1年目が終わっても、2年目が終わっても、記事数は増えているのにPV数は変わらない。

「でもまだ2年だし!」と思って、まだコツコツ続けてみても…うん、変わらないよね。

だってこのブログは早起きに関することだし、世に儲かってるお金に関するブログとか、クレカとか、FXとか、なんならブロガーになりたい人のためのブログツールやスキルを売ってるブログじゃないもん。

そういうジャンルに寄せていくことはできたし、まあ人からしたら遅いながらも途中では気づいたよ、うん。

でもなんだかな、負け犬の遠吠えだけど、いまさらそれに近づけようとか、別のお金に関するブログはじめようとか、そういう気持ちがなくなっちゃったんだよねえ。

なんで色気づいた気持ちがなくなったのか。

家族に同じことを聞かれても上手く答えられないし、まあ当然だよね、自分でもなんでそうなってるのかわからないんだもの。

特に今年に入ってからこの気持ちの整理のつかなさは際立っていて、2019年は目標を①身体柔らかくする、②英語できるようになる、③別の収入をつくる(ブログじゃなくてね)の3つに定めてそれだけをコツコツ続けているぶん、目新しいものを買ってレビューすることも、それこそ読書して感想を書くこともめっきりなくなってしまいました。

ただただ、毎日「朝起きて、ストレッチやって、英語の発音練習やって、会社行って、帰ってきて、ご飯食べて、ハイ21時に寝ました!」っていうのを延々書いてて、そら前から読んでた読者さんはつまらなくなって足が遠のくと思うし、甘酒とか鯖缶の記事とかから入った人は「じゃあ最近のまるは何やってんの?」って最新記事開いたらこれだもの。すぐアウトしますわ。

そんな状態なのが自分でもわかってて、わかった上で、それをずっと続けている…。

モヤモヤしてるんだけど変える気はないんだよね。

で、そんな状態が続いてきた中で、昨日偶然上のブログを目にして、「あ。」と。

そうだ、多分も私もこれなんだ、と思いました。

もはやこの記事は読まれることではなく「書くこと」もしくは「残すこと」が目的なんだと。

他人のために書いてるんじゃない、自分のために書いてるんです。

前にも何度かこのブログで言ってるけども、私は自分のこれまでのグダグダで楽しくない人生を変えるために早起きをしてブログを始めたから、もしこのブログを書くのをやめてしまったら早起きする意味がなくなって、それはつまり前の何の生産性もない人生に逆戻りするんじゃないかと、不安なんですね。

ということは、究極このブログは人に読んでもらうためのものではなく、自分の人生を後戻りさせないためのストッパー的な役割。

だから、書いている時点で意味がある

そのことに昨日ハッキリ気づかせてもらって、風邪で頭はボーッとしてるんだけど、でもどこか片隅で強固に「だから自分のブログはこれで良いんだ」って気持ちがググっとなりました。

まとめ

ブログって、上のブログ主さんも言ってるけど、始めて半年以内で9割やめちゃうんですよね。

自分も始めるときに一つの到達点、目標として調べたから知ってて、実際にそれを超えたときは「よし!これで私もブロガーの最低ラインには立てた」と思ってたもん。

でもさ、今度は続けたら続けたで「月〇〇PVはないとブロガーとは言えない」とか、「〇〇円稼ぐなら○○について書け」とか、どんどんどんどん潰さないといけない(ほんとはそんなの気にしなくていいんだけど)項目が増えてハードルも上がって、で、私は途中でそのハードルが上がれなくなって、でも先に書いた理由のおかげで毎日書くことだけは続けられたのよね。

あんまりこういう人いないんだけど。

物理的には一人環境で周りにやいのやいの言われなくても、ブログはネット上でもあるから、続けられない理由とか、PVが上がらない理由とか自分から探しにいっちゃう人っているのね。

もちろんそこはPVや広告至上主義だったら仕方ないけどさ、別にさ、読まれることとか、儲けることのためだけに存在しなくてもいいと思うのよ。

だってブログって“自分だけのログ”なんだし。

まあお金的なほうは除いたとしても、それでも他人にとってブログの意味があるとすれば、“他人の本心が継続的に覗ける”ってことですかね。

それは良い意味でも悪い意味でも。

私は性善説推しではないけど、ただ、自分が経験者として言うならば、自分が迷ったとき、答えがほしいとき、同じ境遇にいる人の気持ちが知りたいとき、他人のブログを読むことで救われることはあります。

顔見知りじゃない、どこに住んでるかもわからない人だからこそ、受け入れられる意見、考えというのは存在する。

自分がそうだったから、もし私のブログが誰かにとってのそういう存在になれるなら、私のブログは自分のためだけではなくなって、それはそれでとっても嬉しい。

今は自分のため9割、いつか通りすがる誰かのために1割、書いている感じかな。


Twitterで質問うけつけてます。 まる(@hayaokimaru1)まで気軽に送ってみてくださいね

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