甥のこれまでの人生
GW中の話なんですけど、私の兄弟に誘われて、甥がやっているサッカーの試合を観にいったことがありました。
甥は私が同じ高校生だったときと比べて断然自分がやっているスポーツに対して真剣で、ストイックで、休んでいる間の健康面も気を使うし、親戚目線を差し引いても選手としての意識が高い人です。
小さいときからずっとサッカー漬けで、サッカーを愛して常に全力で向かっていく姿は誰に似たんだろうと家族みんなで話してるくらい。
私も特に高校生のときなんて毎日部活で真剣にやってきたつもりでしたが、彼のように結果を出せなかったことを考えると、やり方が間違っていたんだと今ではわかるし、甥ほど私生活でもストイックに過ごすというのはできてなかったんですよね。
だから彼の現状は、より長く生きて人生を少しは俯瞰するようになった自分からしても当然のことと思えるわけです。
で、甥の試合を観ているとき、なんとなくそれまでの、彼が生まれて、ハイハイして、しゃべるようになって、小学生になり中学生になり、そして今高校生になってこうしてハイレベルでスポーツをするまでが走馬灯のように思い出されて、「ああ人って1つのことを正しい方向で努力すると、こんな風になるんだなあ」としみじみ感じました。
物心ついたときからやっているわけだし、身体も大人に近づいていくから成長率で行ったら私なんかより段違いにいいんですけどね、でもそれをひいても、10年人が同じことを続けると、こんなに変わるんだと思って。
なんかすごく勇気づけられたんですよね。
私も早起きするようになってまだ1年ですけど、自分の中でものすごく変わった気持ちがあって、特にメンタル面では後ろ向きに考えなくなって、この先の、未来の自分を楽しみにできるようになったんです。
きっとこれを続けたら、来年はもっといい気分になれるんだろうなとか、それこそ甥のように10年続けたらどれだけ変わるんだろう、もう全然違う人間になってるかもしれないなーとか。
私のほうが長く生きてるし、人生を俯瞰して見られるはずなのに、未来の自分を楽しみにすることを教えてくれたのは彼のほうでした。
10年なんてすぐ経つ
でも一方で、10年ってあっという間だなという焦りも感じました。人生長く生きてる分、逆に気づいちゃうところも。
自分の20代半ばからの10年間をムダにしてきたこととかね。
本人的には前向きに取り組んできたつもりでも、結果を伴わなかったら、後に残るものがなかったら意味がない。
10年と言っても甥のような10年もあれば、私のような10年もある。
1年でも早いのに、10年もめっちゃ早いよなあ。甥の人生は振り返るだけの厚みがあるけど、それでも走馬灯のように私の中では過ぎ去ったような気がするし、ましてや私の暗黒の10年なんて、思い出しても3秒くらいで終わりますからね。
思い出したくないんじゃなくて、思い出せないくらい何もなかったってことですよ。結果を出していないという。
まとめ
そう、10年はあっという間。
これから10年後っていったら、私は50代に突入しようかというころ。
そのころは今よりずっとずっと身体も動かなくなっているだろうし、脳の回転も遅くなって物忘れも激しくなっているだろうな、自分の場合。
甥はこれからまだまだできることが増えていくけど、私は逆、だんだんできないこと、できるまでに時間がかかることが増えていく。
だから、これができない、あれをやる気分にならないなんて言ってられなくなってきました。いや本当にヤバイ。
やりたいことがあったらどんどんやっていかないと、やるかやらないかを迷っている時間はもうありません。
そう考えて先週からストレッチ始めてるんですけどね、身体がかたいのが30年以上コンプレックスだったから。
「◯歳になったらやるっ」て思えるのって30代前半までじゃないかなあ。30代後半になったらそんな余裕がなくなります、一気に。
だから、やり残したことがあったら今すぐやりましょ。
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