最後の試合
おはようございます。まる(@hayaokimaru1)です。
昨日、台風の強い雨風の中、甥の高校最後の試合を見てました。
彼は小学生の時からそのスポーツをしてきて、高校もそれをするために選んでいました。
生活もそのスポーツをするために徹底していて、お菓子は食べないし、ジュースも飲まない、飲むのは牛乳かお茶か水で、お腹がすいたらおにぎりやご飯をしっかり食べて、家でも自分で作っていたようです。
寝るのも身体のことを考えて21時くらい。
そんな普段の生活を聞いていた私は、これまで自分の周りにそんなレベルで物事に取り組む人がいなかったので(しかもまだ10代!)、とっても尊敬していました。
その尊敬している甥が昨日ついに負けてしまいまして。
毎日の生活を徹底し、かつ継続してきた人を尊敬する
あんなにフィジカルにも恵まれ、メンタルも強く、生活のすべてを徹底的にやってきた彼でさえも、ついには負けて終わってしまうときが来るんですね。
まわりには「これで彼の競技人生も終わりだな」という人もいましたが、私はその言葉に、その言葉を発することさえにも納得できませんでした。
「小さいときからずっと続けてきたことに、大事な10代を捧げて本気で取り組んできたことに、その一言で済まされてしまうのか」と。
それは同じく小学生から高校まで、その高校もやりたいスポーツがあって行った私にしかわからない感情だったのかもしれません。
ただでさえあまり同じ境遇にはならない中で、甥の気持ちをわかれという方がムリなのはあるけれど、でもあれだけ普段の生活から徹底して、何年も何年も継続してきた人を私は知らない。
もし「彼の競技人生が終わった」と言っていいとしたら、それは彼本人か彼の両親しかいないはずです。
それに、小さいときからずっと1つのことを頑張ってくると、「じゃあ今日で終わり、明日から受験勉強だね」なんてとてもじゃないけど思えないんだよね。
そんな切り替えがうまくできるようなら本気でやってないか、もし春くらいから思っていたらその切り替えも可能かもしれないけれど、でもそんな気持ちで最後の大会に臨めますかって話ですよ。
まとめ
という気持ちを自分の周りで話せる人がいなくて、でもずっと昨日から上手く消化できなくて(実際私も関係ないんだけどね)ここに書いちゃいました。
家族だから感情的になってしまうのもあるし、まさか自分もこの歳で自分の高校のときの気持ちを思い出せるとは想像していなかったので、もう今後二度とこの感情が現れることはないでしょう。
ただ1つ残った思いとしては、”人生は一度きりしかないから、本気で生きよう”ということ。
もう高校生でもないし、体力も昔よりは落ちてるし、世間的にはできないことも増えているけれど、でも今からだってできることはまだまだあるはず。
諦めたくないし、諦めちゃいけないな、と。
さて、頑張っていきますか。
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