私が早起きをしようと思ったもう1つのきっかけ
私が早起きを始めた理由は今まで何度か書いてきました。
25〜35歳までずっと続いたものがほとんどなくて、何も残せてこなかったこと。
これから先の40歳、50歳のことを考えた時、やっとお尻に火がついて、本気出さないと自分の望む人生、自分が送りたいと思っている生活に間に合わないと気づいてしまったこと。
その現実を1年前に受け入れて、とにかく1歩でも踏み出そうと前を向いたとき、本やドラマを見て早起きだったら何とかできそうだと思いました。
そして、本やドラマも人生を変えようとしたきっかけではあったんですが、それ以外にもう1つ、実は私が本気出さないとと思ったきっかけがあります。
それは物理的に離れていたせいもあって常に心の真正面にあったわけではないけれど、でも何かの拍子にふと思い出す、強い憧れのようなもの。
博多の友だち
それが博多に住んでいる友だちです。
昨日、その友だちに1年半ぶりに都内で会ってきました。
…
私が彼女と知り合ったのはもう15年前。
当時はもう1人の女性と3人で毎日のように遊んでました。
2人と過ごした時間は短いながらもすごく濃くて、それぞれの悩みとか楽しかったこと、嬉しかったことを素直に全部言ってましたね。
特に博多の子は、昔すごくつらい時期があって、そして今も苦労が続いていると知りました。
でもそんなに辛いことが続いても、なぜか彼女ってへこたれないんですよね。
途中からその苦労を見ている私は、いやもうそれ諦めたくなるよね…諦めちゃってもいいんじゃない?と言いたくなるんだけど、彼女は絶対そういうことはしない。
どんなに逃げたくなる状況でも、じっと耐えて、その間に違う方法を考えて、試して、そして自分はこうしたい!って必ず伝える。
“人生を切り開いてきた”って彼女のためにある言葉だと思う。
そういう努力を常にしてきた彼女は、色んな苦難を乗り越えて、今は博多で結婚し、子どもを2人もうけて暮らしてます。
プラス、がっつり仕事してます。
夢を叶えて英語を使った仕事
私としては、あの苦労を乗り越えて結婚して子どもができてっていうだけでも「よかったぁぁー!」って十分なるんですけど、彼女はその上をヒョイッと行くんですよ。
もともと語学が好きだった彼女は、英語を生かした仕事をしたいと当時から言っていました。
私と知り合ったときも絶賛英語の勉強中で。
その後博多に引っ越してからも上京して、英語を使える会社の就活をしたりしてました。
結果的には今博多にある輸入会社で多国籍な同僚に囲まれて働いてます。
…でもさ、この働き方っていうのがすごいの。
1年半前に会った時は、東京に営業で来るから、空いた時間でちょっとお茶しないかって言われて会ったんですけど、前日は取引先まわりで深夜にホテル帰りだったという。
で、翌日は◯時の飛行機に乗るまでちょっと時間があったからまるに連絡したって言うんですよ。そのとおり私とあった1時間後には飛行機乗ってました。
なにその過密スケジュール。私だったらホテルで一休みしてから飛行機乗りたいけど。
さらにビックリなのが、福岡で飛行機降りたら、そのまま子どもの園のお迎えに行くって言うんですよ。
すごくないですか?私、飛行機降りてそのまま子どものお迎え行く人とか初めて見ました。
子どももビックリだよね、まさか空港からお迎え来るなんて。
旦那さんが仕事だからとか言っていたけど、いやいやそこは旦那さんが担ってもいいでしょうよ。
実は東京には数カ月に1回は仕事で来てるんだけど、なんせ予定が過密で、私と会える時間もないのがほとんどなので、東京出張のうち会えるのが数回に1回になるらしい。
で、今回は1年半ぶりの再会となったわけですが、「また帰ったら忙しいの?」って聞いたら、
明日は子どもの卒園式。
…Oh。どんだけ過密スケジュール…。
そして博多に着いてから、「今から洗濯と炊事だよー」ってLINEが来ました。
子どもの卒園の服とか荷物の準備もあるのにまだ何かするのね…。
彼女に「泳いでないと死んじゃうマグロみたいだよね」って言ったら爆笑してました。
前向きに頑張っている姿が羨ましい
はたから見てると超絶忙しくて、自分の時間なんてまったくなさそうな彼女だけど、でも彼女は今が1番幸せなんだろうなと思います。
それはかつて最悪の事態を危ぶまれるくらいの病気になっていたり、深刻な悩みがあったからこそ。
だからこそ、でも自分は生きたい!これをしたい!と強い思いを抱いて、それを一つずつ実現して、そして今の生活があるんだろうと。
彼女に会うと、自分の人生って何だろうとすごく考えさせられます。
目の前にこんなに真剣に生きている人がいるのに、私はこんなんでいいのだろうかと。
1年半前に会ったとき、私の心の中はグズグズしていて、彼女の輝きや素晴らしさを前にして、すっごい打ちのめされたんですよ。
ずーっと前向きに頑張っている人と、私みたいに10年くすぶってる人じゃこんなに差が出るのも当たり前だよな…と。
でも不思議と彼女に対する妬みとか、マイナスな羨ましさは湧いてこなくて、それは彼女自身がそういう人を妬む性格じゃないのと、私も彼女の今までの苦労を知っているからかもしれません。
素直に、ああこういう女性になりたい、こういう人と友だちで良かった。そして彼女も私と友だちで良かったと思ってくれるようになりたいなと思いました。
…
それから約4ヶ月後、私は自分なりに前に進もうと思って早起きを始めます。
そして1年半経って、昨日彼女に会った。
正直、まだ全然追いつけている気がしません。彼女には「まだあることをしている途中だから、報告まであと1年待って」って言いました。
彼女はカンがいいからそれ以上は踏み込まないでおこうと思ったんでしょう、何も聞いてきませんでした。
でも楽しそうにしてた。
憧れの存在
大事な人って、距離や話した時間じゃないんだって、彼女に会うといつも思います。
そりゃ毎日の面倒な家事とか仕事や夫のグチとかそういうのを共有できる友だちもいいんだけど、私と彼女は日常の一コマ一コマを話せる時間がない。
だから会ったときは近況報告もざっくり。
でも顔を合わせればすぐ相手が元気かどうかもわかるし、それを見てまた無条件に元気をもらえます。
どういう姿勢で人生を送ってるかがわかればそれでいい。そういう相手。
ここ10年、会って元気をもらうのは常に私のほうでした。
でも昨日は、この1年で生活が変わった私を見て、彼女はちょっとでも元気をもらってくれたかなあ。そうだといいなあ。
私にとって彼女はまだまだ先を走っている憧れの存在ですが、もう少ししたら隣を走れるくらいになったらいいな、そうなりたいと昨日強く思ったのでした。
よし、今年はさらに成長するぞ。
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