訃報を聞いて思うこと
昨日、山本KID徳郁選手の訃報を聞いて少なからず動揺しています。
デビュー当時から見てきた選手だったから、そして年齢も近かったから余計です。
この2年強で時間の大切さを痛感して、1日、1ヶ月、1年をどうやって過ごすか、どういう年の重ね方をしたいかっていうのを考え続けてきて、ようやく自分のしたい生き方が描けてきたときに年の近い彼が亡くなってしまったのを聞くのは衝撃が大きすぎました。
私だったら自分のかけた未来へのハシゴを外されたような、驚きと恐れと、そして無念だろうと考えました。
山本選手は多くの同世代の人たちよりも濃く波乱の人生で、精一杯毎日を生きてきた人のように私からは見えるけれど、果たして彼の中ではそうだったんでしょうか。
そう思っていたか、それともまだまだやりたいことがあったか。
アラフォーなんてネットではもうおじさん・おばさんなんて呼ばれるけれど、まだ十分健康で体も動くし、それまでの知識と経験が今こそ活かされるっていう気持ちでいる人もいるんですよ、私はそうだし、山本選手はなおさらだったと思います。
まだまだこれから、と考えているときに突然自分の人生がプツっと切れるってどれほどの気持ちだったのかと思うと、あまりに切なくて仕事中に涙しそうになりました。
まとめ
先日タイを旅行したときに、使いたいものにどんどんお金を使うものだから、帰国してからのことを考えて「ちょっと使い過ぎなんじゃないか」と節約情報読みすぎてそう思ってしまう自分と、「いやいやタイももう人生で来ないかもしれないから」って思ってエイヤっと使う自分の両方がいたんだけども、使うときに思うのが、いつ人生が終わるかもわからないから、自分がやりたいことのためなら惜しまずいこうってことで、そう、私も病気になったらもう二度とタイどころか、旅行にも行けなくなってしまうんだよね。
なんかお金の使い方と人生の長さを比べて考えるって不謹慎かもしれないんだけど、でもそういうところにその人の生き方って出ると思うんですよ。
何が言いたいかっていうと、人生は何が起きるかわからないから、あなたも私も、自分がやりたいことしましょうってことです。
行きたいところへ行って、やりたいことして、会いたい人に会う。
自分の人生少しでも後悔ないように。