新聞は必要か
昨日会社で、途中からですけど遠くで聞こえた話が、「新聞の情報だと自分が選択していないものまで見るから、それが大事だったりするんだよね。ほらスマホだと自分で情報選べるけど、かたよるじゃん?」でした。
この話どう思います?
私の場合は、新聞に関しては中学生のときから朝起きたら口にパンを突っ込みながら、半分寝た頭でめくってたりして、それは大学生まで続きました。
理解しているのは1%としても、国内、国外情勢を(知るというより)見てたし、スポーツ、芸能、書評、社会論、天気まで一応ザーッとは見てたけど。
でもその内容を朝登校するときに友だちと話すことはなかったし、親ともあまり共有しない。
就活の時期とか毎日新聞読みなさいっていうけど、ああいう意識的に、能動的に情報を得ようとしないかぎり、私のようになんとなーくめくって、ただ活字を追うだけの使い方だと意味ないんでしょうね。
ただ、休日の書評欄とか、新聞の下面にある本の紹介(本ばっか)は楽しかったな。あれは能動的に読んでました。
あとは好きなテニスの結果と選手のインタビューね。
実家を出て長いこと経ちましたが、新聞がない今の状態が特に不便というのもなく、ただ1つの習慣がなくなったなくらいの感想です。
自分が選択していないものを見るのは大事か
だから、”自分が選択していないものまで見るのが大事”かというと、私はあんまりそうは思わない。
あんまりというのは、能動的に得る気がなかった情報を偶然見て、それで他人と情報をやりとりすることがまったくなかったかと聞かれれば、多分ちょっとはあったんだろうなって。可能性の部分です。
で、なんで大事と思わないかって、世の中の情報って、正直自分の人生にすっごい役に立つ、重要な情報ってほとんどないから。
自分が本当に困っていないと、がむしゃらに情報つかみにいかないでしょう。
自分のためのほかに、人との情報交換として使うことはあるけど、職業柄専門的な知識が必要だったりする以外は、たいていは季節のやりとりと一緒で、そんなに細かい情報は把握してなくてもいい。
緊急性、必要性が低いものは、本人も能動的に取りにいこうとしないし、なくても困らない。
結局自分が選択しなかったものって大事じゃないんじゃないかと。
テレビはより必要ない
この緊急性、必要性がもっと低く、さらに能動的にならないのがテレビ。
しかもテレビって、朝から事件とか事故とか、落ち込むニュースばっかりやるじゃないですか。
せっかくさわやかな天気でも、これを見ただけで気持ちがガクンと落ち込んじゃいますよ。
世の中のことを知るのは大事だけど、でもなにも悲しいニュースばかりに長時間割かなくってもいいじゃないですか。
楽しいニュース、面白いニュースをはじめに15分とかでもやってくれてたら、私もまだテレビを家に置いて見ていたかもしれない。
そういう見ていて辛くなる情報は、スマホのニュース一覧で要約だけ読めばいいと思ってます、特に朝は。
それに新聞で見れてスマホで見られない情報ってないですよね?だから偏ったりもしない。
結局は、自分にとって必要な情報を選択できて、能動的に得ることが大事なんじゃないかと思います。