毎日働いてるだけじゃダメですか
おはようございます。まる(@hayaokimaru1)です。
私には毎月1回実家に行って一緒にご飯を食べることで両親の健康具合を確認するというのがあるんですが、とはいえ幸いにも両親が元気でいてくれるので、これまでは単純にいい年の大人になった私が唯一ワガママの言える、ホッとできる場所として寄ってました。
でもなあ。
なんか昨日は違ったんですよね。
甥の将来の仕事の話ならまだしも、私や夫や私のきょうだいの仕事まで「この先は大丈夫なのか」って心配をされ…いやそんなのわからん。
「実家に帰ると結婚の話をされて辟易する」っていう独身の人の話がありますが、今回身にしみてわかった!
あれすっごいヤダ…耳塞いでソッコーで帰りたくなる。
もちろん仕事も恋愛相手も自分でも選べるからさ、今より良い状態にすることは客観的にみて可能なんだけど、でもそんなに毎日転職転職転職、結婚結婚結婚って考えて生活してるわけじゃないでしょう。
重病だった人が病院から退院して家で療養できたら「すごいね、頑張ってるね」って言うのに、
家で療養してた人が外に働きに出たら「すごいね、ムリしないでね」って気遣うのに、
人によっては「毎日同じ場所に行って8時間も働いてるだけですごいよ」ってなるのに、
それが普通になるとそれ以上を望まれる。
高収入じゃなくても、毎日会社行って働いてそれで細々と食べてるだけじゃダメなんでしょうか…。
そう、それで思い出した。
私、両親には大事にされてきたし、好きにさせてもらって感謝してるんだけど、小さいときからたまーに「なんだかなー」って思ったのが、ムダに悲観的じゃないかってこと。
物事を冷静に見るのと悲観的に捉えるのは別のことです。
うちの親は「万が一のことがあったら困るから」っていろいろ心配するんだけど、それ悪い方のことばっかりなんだよね。
万が一万が一って、万が一のことなんてそれこそ万が一の確率でしか起こらなかったんだけど?
心配症の両親から生まれたのに、良く言えばチャレンジャー、悪く言えば無鉄砲な私としては、自分の動きのストッパーになるこの言葉が好きじゃなかった。
いや確かにさ、いきなり会社クビになるかもしれないし、事故にあって働けなくなるかもしれない、夫が急死して先立たれるかもしれないとか、それに備えて準備するのは悪くないと思うんだけど。
私もそういうときのためになるべく貯金や投資はするようにしてるし。
ただ過剰に安定を求められて、正直アクティブに生きたい気持ちを抑えられてゲンナリするんです。
だから大人になって本屋で「心配事の9割は起こらない」っていう本を見つけたとき「ぜっっったいそうッ!!」って思った。
別にムダにテンション高く「なんでもやれるぜ〜好きなように行こうぜ〜」って言ってほしいほど私も子どもではないけど、でもせめて、世の中を客観的に見ること、つまりマイナスも見るなら同じくらいプラス面も見るくらいのことはしてほしかったんですよね。
今年やってる英語もストレッチも、安定した仕事、安定した暮らしの役にはまったく立たない(英語は極めたら役に立つけど)わけで、そういうののやる気を削がれて昨日の夜から少し憂鬱なんです。
自分が無鉄砲なのはわかってるからさ、だから資産運用してるんだけど。人生のバランスとるために。
副収入考えたりだとか(これは親に言ってない)
まとめ
しかもさ、こないだ友達と飲んだときも、会社の人事の話とか、派閥がどうのあの人とあの人が仲悪いからどーたらこーたらとかあって、組織って大変なんだなとちょっと思ったけど、私にはどうでもよかった。
だって私自身今の会社に一生いられるかどうかわからないし、組織とか派閥とか私の人生に関係ないもん。
私は今!英語とストレッチと副収入のことだけを考えたいの!
周りがざわついてしかもそれが楽しくない話ばっかで、当分周りからの情報は断絶して生活しようと思いました。
本読んで猫と遊ぶのだけしよ。