完璧な日なんて来ない
おはようございます。まるです。
朝晩ずいぶんと涼しく、いやむしろ寒くなってきましたね。
ここ数日寝ているときに足が寒くて起きるので、昨夜またレッグウォーマーを引っ張り出しました。
数年前にこのブログで紹介したレッグウォーマー、まだ履いてますよ!
毛玉はできるけどほつれてないので、やっぱりモノ自体は良いんだと思います。
で、寒くなってきたって話ですけど、昨日の夕方から家族は勉強のためにカフェに出かけて、わたし家にひとりだったんです。
18時くらいに外を見たら真っ暗で!真冬かってくらい暗くて、それみたら理由もなく寂しくて不安になって、毎年思うことですが「ああ夜は外に出ていたくないな…暗い中ひとりでいたら寂しいな…」と。
また、最近父親が貧血で倒れたこと
職場の同年代の女性が脳梗塞で倒れて仕事休んでること
などなどふいに思い出して、悲観的になったのかもね、
「自分のことを考えてられるのは30代まで。
40代になったら親の健康の心配があるし
自分も同年代の女性のように急に倒れるかもしれないし
若いときは「勉強したくない」「就活したくない」「旅行とかずっとしてたい」と騒いでたけど
そうやって純粋に自分のやりたいことを考えていられるのは若い時だけだったんだ」
と改めて思いました。
しかももし自分に持病があって激しい運動ができないとか
集団の中で勉強できない性質をもってるとか
そういう問題もあったら、自分のことだけ考えたくてもその病気にはばまれてしまって、自分の願望を100%満たすことすら難しいでしょう。
ってなって、そしたら逆に
・自分の周りの人間で問題ある人がいない/みんな健康
・自分のことだけ考えていられる
こういう状況って実はめちゃくちゃ短いんじゃないか、
そして世の中にこの条件を満たしている人は多くはないんじゃないかと。
特に自分以外のこと(親戚とか環境とか)って自分ではどうにもできないですもんね。
だったらなおさら、私はもう40代だけど、上のような問題がまだ多重で起きてないのなら、パーフェクトな自由まではいかなくてもできることはたくさんあるし、今のうちにどんどんやらなくちゃいけないという焦りも覚えました。
いつだったか
私がやりたいことをどんどんやらなきゃと思ったのは
「環境が整ったらやるなんて言うけど、環境がすべて完璧に整うときなんてない」
というような文章を見てからです。
そこでハッとして、仕事でイヤなことあったり台風が来て実家に避難しても早起きだけは続けたし
父親が倒れて心の中は不安でいっぱいでも朝の英会話はやってきました。
まとめ
私の”完璧な日々”は30代で終わったこと(それでも今思うとあったことに感謝しなくてはいけない!)を昨日空を見ながら考えていて、これからはこの薄暗い景色の中でも進んでいかなきゃいけないんだなあと。
自分の人生がどんどん閉じられていくように思えて悲しかったけど、一方でまた来年には春がくる、そして夏も来ることも想像できるから、希望が完全になくなったわけでは全然ない。
それに予防としてできることはたくさんあって、特に健康面はランニングしたり山登ったり、食事もまだまだ変えられる。
少しずつ後退していく人生だけど、どんなときも「今もっている駒」を最大限生かして、やりたいこと一刻も早くどんどんやろう!と思ってます。