ブログの力・書く力
ブログを毎日毎朝書いていると、しだいに言葉の力に自分自身が驚かされることが出てきました。
最初はやる気なかったことが書くことで意識づけされて、なんとなく頭の片隅にずっとそのことが残っている感じになり、街を歩けばカラーバス効果で関係する情報が目に入るようになって、最終的には「この情報わたしのためにあるんじゃん?」とまで思うように。
もうそこまで行くとやりたいやりたくないとかはどうでもよくなって、「なんかやらないと気が済まない」ようになるんですよ。
そうやって始めたことがブログを書くようになっていくつあったことか。
一度文章に書くとダメですね、ダメって言うか、確定ですね。
書いたらそれをやらないと済まなくなるから、書いたらいずれそれをやると思ったほうが良い。
YOMIURI ONLINEの「書いて取った五輪メダル!松田丈志を鍛えた言葉の力」を昨日読んで改めてそう思いました。
正しく表現する努力
私はブログを始めてたかだか1年ちょっとで、世の中の先輩には5年とか10年書いている人もいるし、中には毎日書いて数年という強者もいるので、たまにそういう人の後を追おうと奮起したりしますが、松田さんはそういう人たちよりもずっとずっと先を行っている人ですね。
中学生から書いて、昨年9月で引退するまで書いているとしても、20年は練習ノートを書いている。
20年って凄すぎて想像すらできない…それだけで人生記になりそう。
20年も書いていたら、私がこの1年で感じた数十倍、数百倍の言葉の力を感じているんでしょうねえ、うらやましい。
文中“自分が感じたことやその時の思いを、正しく表現する努力が欠かせません”とありますが、確かに、1ヶ月でも2ヶ月でも自分の日記なりを書いていくと自分の文章力のなさや思考の浅さに悲しいくらい気付きます。
そのあとも日記・ブログが続けられたとしたら、それからはひたすら自分の思考力を磨き、書く力、つまりは“正しく表現する”戦いをずっとしなくちゃいけないんだけど、でも逆算すると、結果を残すにはまず自分できちんと考えられないとダメだと思うんですよ。そのきちんと考える、自分を正しく認識するために書く力を利用する。
書くのが目的なんじゃなくて、書くことで思考力が見について、それを磨いた結果正しい方向に努力して結果が出ると。
私は今もまだ書く能力がないのでこうやってダラダラ書いているんですが、でも書いているうちに頭の中が整理できることが多くて、そういう人もいます。
まあでも私みたいにブログじゃなくてもいいの。別に2、3行の短文でも。
毎日の変化が自分でわかればそれでいいんですよ。その文章から思い出す前後の出来事とかもあるし、そこから派生してまた考えられることもあるから。
それに長文書いたからって正しく表現できているとは限らない。
数行で的確に自分の現状を言い表せているならそれで終わっちゃっていいと思う。
まとめ
松田さんは中学生のときから練習ノートをつけるという習慣ができていて、そこまで昔からできていると習慣化することが普通になっているんじゃないだろうか。
現役を引退なさってますが、練習ノートじゃなくても何でもきっと習慣化できていることでしょう。
実りある人生なんだろうなーほんと羨ましい。
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