いつかのたった1日のために早起きを続けている気がする【早起き456日目】

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たった1日のために早起きを続けている

たまに、いつかのたった1日のためだけにずっと早起きを続けているような気になります。

いつかって、それは明日かもしれないし、5年後、10年後のある日かもしれません。

それは小春日和の、明るい光に包まれた、穏やかな風が吹く日で、「今日が人生で最高の日だ。今までこんなに素晴らしい朝を迎えたことがない」と思う日か。

それとも、家族が亡くなってしまって、もうこれ以上ないというくらい泣いて泣いて、泣き尽くして、疲れて眠ってしまった日の朝、ボーッとした頭で朝日を浴びながら「ああ、もう家族はこの世にいないんだな」と思う日か。

人生で最高の日なのか、最悪の日なのかさえもわからないけれど、とにかく“私はこの日のためにずっと早起きをしてきたんだな”と思う日があるような気がなんとなくするんです。

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過去の早起きしていた自分が人生の軌道を修正してくれる

早起きして、なんて素晴らしい朝だ!と漠然と思うときはこれまで何回かありました。

特に去年のこの時期、新緑の季節とか、夏の陽射しの強いときとか、起きただけで幸せでした。今年もこの新緑の5月は幸せをいっぱいもらっています。

逆に、もう人生でこんなに辛いことなんてないっていうのは数年前にあったんですが、その時はまだ早起きを始めていませんでした。

なのでそのときはかなり荒んだ生活をしてましたね。

その経験があったからこそ、私は後に早起きをしようと思ったわけですが。自分の人生本当にこれでいいのかと随分悩んだので。

そして昨日から、まただいぶ辛いことがあって、それでまあ今日こういう内容になっているわけですが、昨日からずっと私、「早起きだけは絶対にやめない。そして何があってもブログを朝書く」と強い思いでいました。祈るような気持ちだったかもしれません。

そして今朝、朝起きて天気は良かったけれど、早起きはできたけれど、決して気分が良かったとは言えません。

でもちゃんと自分の強い想いを実現できた。早起きできた。

さらに今こうしてブログも書いています。昨日の時点ではブログを書ける環境に居られるかどうかもわからなくて、その時はどうしようと不測の事態を調べまくっていたんですが、今日なんとか書ける状態に間に合いました。

この切羽詰まった状態のときこそ、人生で辛いときこそ“早起きという自分の習慣に頼って”、自分を保とうとしている面もあります。

過去の自分に助けてもらう感覚です。

もう本当にダメだっていう最悪の日の、たった1日のために、過去の自分の何百日、何千日という早起きをしてきた自信、そして朝日を浴びる習慣が、人生の軌道が外れそうになるのを戻してくれるような。

早起きはそれ自体で幸せになれるし、セーフティネットにもなる

早起きというのは生活習慣で、早起きをして何かを自分のためにするから成長につながる、生活を豊かにする、心にゆとりを持たせるというのはよく言われますが、私はそれ以外にも、早起き自体で幸せを感じる、またはいざというときのセーフティーネットにもなれるものだと思います。

だから普段から、自分が平常心でいるときに、いかにコツコツ積み上げてこられるかが重要ではないでしょうか。

いつかの自分のために、過去の自分に助けてもらうって良くないですか。

私は今朝、去年の2月29日から1年強のこれまでの自分に助けてもらったので、なんとか持ち直しそうです。ブログを書いて振り返ったら元気出てきたのもある。

さて、軌道を外さないように、いつものように会社も行ってみましょうかね。

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