個人より細かくわけられた”分人”という考え方
おはようございます。まるです。
唐突にあまり楽しくない話ですが、キライな人と一緒にいるときの自分って嫌じゃないですか。
相手には「あんたムカつくわ」とは言えないし
態度にも出さないほうがベターだけど
でもでもどうしようもなく隣に居られるとイライラするし、私の場合はすぐに席を立ってトイレに行ったり別の部屋に行ったりして離れることでなんとか自分を保つという人間がいます。
そういうときの心の大波をね、ずっとどうにかしたかったんですよ。
例えば職場で、キライな人間が近くにいたら普通にこなしてた仕事が頭に入ってこない、
単純作業なのになぜか間違うってありませんか。
そういう、キライな人間なのになぜかその人に感情を左右されてるのがわかってしまうとき、どうやったら平常心に戻って作業をとどこおりなくできるようになるか。
その答えが、ちょっとこの本で見つかりました。
私とは何か 「個人」から「分人」へ
キライな人といる自分の分人比率を低くする
個人よりも小さな分人という単位を設定してみると、個性についても、これまでとは別のとらえ方が可能だ。
誰とどうつきあっているかで、あなたの中の分人の構成比率は変化する。
その総体が、あなたの個性となる。
十年前のあなたと、今のあなたが違うとすれば、それは、つきあう人が変わり、読む本や住む場所が変わり、分人の構成比率が変化したからである。
つまり、たとえば昔はふつうに生活していた自分が、ふとしたことで悪い仲間とつきあうようになり、でも次第にそんな自分を変えたいと思ったら、その悪い仲間といるときの分人の構成比率を低くすればいいわけです。
作者のたとえとしてしっくりくるのが、この構成比率とは、分数で表すことができるということ。
私だったら、ものすごく単純に分けるとして、
家族といる私の分人 4/10
会社でいる私の分人 1/10
気心の知れた友だちといる私の分人 3/10
知り合い程度の人といる私の分人 1/10
社会生活を営む私の分人 1/10
これで分数を全部足していくと、合わせて1の私(=個人と言われるもの)になりますね。
特に会社にいるときの私はビジネスライクに徹しているつもりだし、超超キライな人間のときは文句を言わずに避けるようにしてるので、その分ストレスをためないように分人の比率をあえて下げてます。
なのでプライベートのときの仕事の分人はほとんど出てきません。
本の中でも書かれていますが、たとえば学生のときにいじめを経験すると、自分の分人の比率がとても高くなると思います。
もちろん学校生活の時間も長いから、その場の分人でいる時間も長いから。
でももし、この考え方を取り入れて、いる時間は長いけれども私の中の分人の割合は1割もない!と強く決め、
他の場所で自分にやさしくしてくれる人がいて、自分も心地よい自分でいられるのであれば、そのときの分人比率を高めるようにしていく。
いちばん最高なのは、もちろんキライな人といるときの分人を限りなくゼロにすることですよね。
まとめ
こういう考え方があるんだーと思うと、おまじないのように、キライな人と会ってしまったとき「今の自分は1/10にも満たない分人だから!」と思えるようになりそうじゃないですか。
キライな人間に対して心の中で毒を吐いてる自分が「本当の自分」だと考えてしまうと、自分だけがどんどん辛くなっていってしまいます。
…
著者が、多くの人にわかりやすくなるよう噛み砕いて書こうとしてくれた努力がわかる作品です。
中学生でも読めるんじゃないかな?
もし学校のことで悩んでいる、会社で人間関係が上手くいかないなどある人は、「こういう考え方もあるんだな」とこの本で少しでも心がラクになるといいなあ。
知るって大事。