私が読書する理由
私は小さいときから要領は悪くない子だったと思います。
基本的には少し勉強すれば上のほうの成績が取れる子でした。
でもいつからか、自分が勉強したくないのをいいことに、部活に忙しいという理由をつけて勉強から逃げました。
親がとても裕福まではいかなかったため、教育費にお金をかけてもらえなかったのも言い訳にしたと思います。
その結果、大学受験も就職活動もたいした努力をせず、今の状態でいるのですが、それは当然のことでしょう。
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一方で、小さいときから勉強してきた子たちは、多くの努力を重ね、ときには遊びも犠牲にしながら、結果一流企業に入り、多くの収入を得ています。
私が読書をしているのは、その時のコンプレックスを埋めたいからかもしれません。
読書によって小さいときに得られなかった教養を、収入を、プライドを必死に補おうとしている。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
また、わたしは読書によって、自分の感情や思考をなるべく一定に保ち、判断力を保ち、結果的に最適解を得られるような生き方をしたいと望んでいます。
そう思い始めた最初の原因は大学生のときの経験にあります。
大学1年生のときに政治学の授業があって、先生が「人間の政治への考えというのは、親の影響を強く受ける」と言ったことに、自分ははっとしました。
まさに私もそうだったから。
それをなんと称していたのか忘れてしまったのですが(確かなんとかパーティー(政党はpartyというのをそこで覚えた))それを知ってから、私は周りの環境や親の影響を受けるのではなく、自分の意思で、自分の考えを持って物事を決めたいと思うようになりました。
判断力を保ちたいと願うのも、周りの人たちや、(これこそ読書から学んだ良い点ですが)これまでの経験者の意見によって、いかにその一瞬の感情にまかせた、視野のせまい一時の判断があやまった道に進ませるというのを確認してきたからです。
大学生になったときには、自分が自分の経験だけでは大した結果も得られないことも分かってしまいました。
常に考えて感情を平均化し、冷静な判断をするためには、多くの人の知をえれば、それは叶うと信じてきたんですね。
“愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ”
この文の流れから言うと、今となっては誤用、勘違いして理解したのですが、歴史=本により学びを得られれば、人はより賢く生きられる。
当時はこの言葉を座右の銘にしていました。
私がもし一流企業に勤め、年収800万円稼いでいたとしたら、私は今ビジネス書なんて読んでいないでしょう。
好きな作家の小説を読み、感情を揺さぶられ、それを思い出しつつ眠りについて、朝の太陽をただただ眺めていたでしょう。
でも実際はそうはならなかった。
だからこそ私は今読書をしていて、ビジネス書ばかり読んでいます。
小さい時からのコンプレックスを埋めるために、
自分がなりたかった人間になるために。
まとめ
人によってそれぞれ読書の理由は違うと思いますが、私はおそらくこれからも本を、とくにビジネス書を読んで、その感想とそこから得た知識をこのブログにも書いていくと思います。
忘れっぽい自分が、読んだ内容を血肉にかえるのは、要約を人に話す、書き残すことがもっとも有効な方法と知ったので。
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昨日本を読んでお風呂に入っているときに、「なんで自分は本を、とくにビジネス書を読むのが好きなんだろう」と考えていたら頭の中がグルグルしたので、それをまとめるつもりで、お風呂を出てすぐに音声入力で残したのが上の文章です。
実際は文章にもなってなくて支離滅裂だったので今なおしたんですが、それでもよくわからないかも…
大学生から上のようなことを考えて読書してきたので、もしかしたらこれからもこのままかもしれないし、人生に余裕が出たら変わって、また昔みたいに小説を読みふけるかもしれないしそれはまだわかりませんが、まあこういう読み方している女もいるんだなってことで。