今日で早起き300日目
おはようございます。
今朝も近所のカフェでこのブログを書いています。
さて、今日で早起きが300日目を迎えました。ついにきた300日。
最近家族に「まるだったら本当に早起き1,000日とかブログ1,000記事とか書きそうで怖い」って言われました。
いや怖いって何。
家族から見ても、10ヶ月という道のりは物事を続けている、習慣化していると認識されるレベルみたいです。
半年経ったときは全然そんなこと言われなかったので、彼の中では10ヶ月という“1年間続いたすごいこと”に近づいていると見ているのかもしれません。
そして一度認識されると、それがさも半永久的に続くように見えるらしい。
いやこっちは毎日必死に、いや必死には言い過ぎだけど、でも少なくとも意識して起きるようにしてるんですよ。じゃないと続かない。
まあ自分や家族が大病になったり何か大きな問題が起こらない限りは、1,000日はムリでも2年くらいはいけそうな気はしてますけど。
みんな結果だけをすぐに求める
これを言われて思ったのは、家族でさえ毎日隣でその姿を見ていても、実際の大変さ、つらさ、努力というのは私と同じレベルまで実感されないんだなあと。
受験と一緒ですね。
家族のことでなくても、ブログ1年続きました、毎朝4時に起きています、仕事で年収1,000万円ですとかって他のブログや本で見ますけど、それはその人が長期間かけて築き上げたものを切り取った一瞬のものであって、こちらはそれだけを受け取っているに過ぎないんですよね。
その経過って周りはあまり興味ないというか、結果だけを早急に知りたい。
んーやっぱり結果出してなんぼか。
自分も歳とともにずる賢く目ばっかり肥えてきて、どうしても批判的に物事を見てしまう、早急に結果だけを求めることがよくあり、自分はやってないのにこれってきっとこうだよね、裏側こうなってるよねみたいな知ったかぶりを家族に話してしまっていて、それってよくないとは感じてました。
そういう自分を改めたいというか、何かを続けて、私もこれだけは言えるというのが欲しかったのかもしれません、今思えば。
それが早起きであり、ブログだった。
まとめ
習慣化する、何かを続けるって、物理的に生活を改めるのに良いと言われます。
それはもちろんある。
でもそれ以外にも、自分に自信をつけるという前向きなプラス方向までいかなくても、これまでのキライな自分の考え方から去れる、つまり精神的なマイナスな部分が減っていくというメリットもあると思いました。
イメージで言うと、自分の考え方、思考方法が−100から始まるとして、それが何かを努力して続けていくごとに−70、−50となっていって、これは私の想像ですがあるときフッと自分がフラットな状態になり、思考方法もゼロになる。
そしてそこからはひたすらプラス。+10、+50、+100になっていく。
このプラスになるのは、さっき言った、継続化・習慣化が完全に自分の自信になったとき。
私はまだ自信にまではなっていないので、というのも毎朝起きるのにまだちょっとだけ労力が必要ですから、精神面で言えば早急に結果だけを求めることが減ってきたくらいです。
これが本当に自動的に早起きできるようになったとき、私の思考も+50くらいに上がるかなーと。
それが早起き1年目でなるか、2年かかるかはわかりませんが、これからそういう楽しみが続くんだなと考えると嬉しいです。